マネキンの全て

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マネキンのすべて 続編1996年〜2000年

マネキンミュージアム

The museum of mannequins 1996-2010

文責藤井秀雪

この「マネキンミュージアム」では、既刊『マネキンのすべて』(1996年発刊)同様に、マネキンディスプレイ商工組合(JAMDA)に加盟する各社が、1996年以降、継続的に発表してきたマネキンを中心に、造形技術を活かし取り組んだマネキン以外の事例も織り交ぜながら、寄せられた膨大な資料の中からピックアップし構成します。またバブル期と、バブル崩壊後の1990年代後半から2010年までの時代背景と、その時々の出来事を回想しながら、この15年間のマネキンを取り巻く社会状況を概観します。

マネキンは“時代を映し出す鏡”と言われます。その時々のファッショントレンドや美意識を敏感に投影し、人々の理想や憧れを映し出すことに本来の姿があります。しかしその一方、商業活動と密接に結びついている以上、景気の動向に敏感に左右されることも確かです。この15年間を振り返ってみれば、2002年から2007年まで「いざなみ景気」を経験しましたが、IT長者の「ヒルズ族」に象徴される「勝ち組」と、「ワーキングプア」「ネットカフェ難民」の「負け組」による格差社会を生みました。好景気とは言え、一般的には実感の乏しい状況でした。その後、アメリカのサブプライムローン問題によるリーマン・ショックに端を発した世界金融危機により、景気は後退したまま現在に至っています。

先の「いざなみ景気」では、主要都市を中心に華々しいショーウインドーとラグジュアリーな空間で高額商品を扱う海外ブランドの巨大店舗が立ち並びました。しかし景気が後退した現在では、ファストファッションに代表される低価格商品を扱う店舗が都市に進出しています。

こうした中で日本のマネキン業界は、コスト削減の厳しい市場環境に対応してきました。ここでは、マネキン作りの真価が問われる、リアルマネキンの企画、制作、発表をはじめ、市場のニーズに積極的かつ柔軟に対応してきた多様な事例を15年間の流れを通して見ることにします。

既刊『マネキンのすべて』が発刊された1990年代半ばの社会状況は、バブル崩壊による地価の下落、経済破壊が一般化した時代でした。相次ぐ金融機関の経営破たんと不良債権問題で金融不安が拡大、さらには円高を理由とした製造業の海外移転が進み、地方の工場の撤退や縮小が著しく増加する一方で、サービス業や流通・小売業の中国への投資が本格化しました。このような中で、就職の氷河期、中高年のリストラ(解雇)が顕著になり失業率が悪化、企業倒産が続発しました。こうした状況下の1995年に発生した阪神・淡路大震災では、6434人もの尊い人命が失われ、百貨店をはじめとした商業施設にも甚大な被害が及び、組合員企業も大きな影響を受けました。さらにこの年は、東京で地下鉄サリン事件が発生し、経済的要因とともに、社会不安がいっそう増大しました。

一方、パーソナルコンピューターや携帯電話、PHSが爆発的に普及し、企業や一般家庭でのIT化が急激に進みました。流通小売分野でも、1980年代以降、コンビニエンスストアが相次いで、POS(Point of sale system)を導入、1994年には、ファミリーマートが全店のデジタル通信網化を完了するなど、電子化の時代へ本格的に突入しました。

1995年のファッション小売業の動きとしては、『D&G』、『CK』、『DKNY』等の“セカンドライン”に人気が集まりました。阪急数寄屋橋店に『GAP』1号店がオープンし、海外SPA(製造小売業)の日本への参入時代を迎えました。国内でもワールドが、1993年の『オゾック』に続いて、この年『アンタイトル』を展開、SPA時代の幕開けとなりました。

一方、アニメをはじめとしたサブカルチャーがブームとなる中で、1996年5月、岡田斗司夫は著書『オタク学入門』を発表。当初NHKは「オタク」を放送問題用語としていましたが、その後一般化し、海外でも用いられています。また、シャネラーやグッチャーに代表されるコギャル現象が話題となりました。