マネキンの全て

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マネキンのすべて

日本のマネキン 〜人と作品〜

「原型作家」座談会

◆出席者(社名五十音順)=●株式会社京屋/企画部開発課課長/川口健
●株式会社七彩/環境創造事業部ディレクター/大野木啓人 ●株式会社ニシモト/彫塑室アトリエチーフクリエーター/塚原孝雄 ●株式会社ノバ・マネキン/関東営業本部 営業部商品課 原型担当課長/丸谷隆二
●株式会社平和マネキン/マネキン研究室チーフ/地主力 ●株式会社ヤマトマネキン/マネキン開発部課長/山本幸夫
●吉忠マネキン株式会社/プロデューサー室課長/奥谷卓則 ●株式会社ローザ/原型室室長/川名靖彦
◆司会=株式会社トーマネ/常務取締役企画統括本部長/翁観二

奥が深いマネキンの魅力

ファッションもマネキンも、時代の息吹きを吸収し、時代と共に歩んで来た
マネキンはアートか?デザインとのちがいは?創造性と商業性の間でゆれる原型作家たち

食うために入った道だけど ---- 今はライフワークになってきた


右:川口 健
左:大野木啓人

翁「今日、集まっていただいた方達は、日本シリーズみたいなもので、各社からエースを送り込んでいただいたわけです。バリバリの若手現役のグループで、会社がらみというよりは、原型作家個人としてのお話を伺えればいいかな、と思っております。まず、原型作家になった動機からお聞きしましょうか。」

川名「美術大学の彫刻科を出まして、彫刻では就職がない時代で。私の恩師がローザにいたことで、そのツテから入社した次第です。粘土こねから始まって今日まで、17年程、原型やってますけど、なかなか難しいといったところです」

奥谷「動機は川名さんと同じで就職といえば装飾会社か百貨店の装飾部か、京都に居るので染色関係、その造形関係というものに限られまして。私も、マネキンというより、造形に興味がありまして。私自身の制作も並行してやりたいと。最初はそんな思いで入った訳ですが、一応、今まで務めあげた、という状態です」

山本「この業界に入って28年位になります。原型マンとして入ったのですが、4〜5年で、もっと幅の広い仕事をさせてもらって。その期間が約十年ありましたかね。什器、ボディとマネキンをやりながら、ここまで来たという訳です。ズーッと京都の方で仕事をしていましたが、つい2年ほど前、もう1回、気分を変えて、1から出直してみようと思って、東京に移ったところです。これから、という心境です」

地主「畑違いの油絵から転向しまして。就職活動で切羽詰まったとき、昔見た写真集に"マネキンの原型"というので、女性の後姿を撮った裸のポーズがあって。"アー、きれいだな"と思った記憶があって(笑)。学生課に当たりましたら"専攻が違う"といわれて。結局"専攻間わず"というのが平和マネキンだったことから入社。23年たった、という訳です」

丸谷「私も皆さんと同様で、マネキン会社もマネキンも知らずに。それまでマネキン人形を意識せずにいたというか。入社直前に、デパートを見て回ったんですが"作れるんだろうか"という不安ばかりで。また悪い先輩から"彫刻がやりたいならマネキンやったらダメになる"などいわれまして。15年前は、悩みながら入社したものです。現在は自分の下手さばかりが気になって仕方がない、という状況です」

塚原「私も特別の動機もなく。というのは、アルバイトなどしながら彫刻をしていましたが、ともかくお金がない。ヒョンなことからニシモトの社長と知り合いまして。突然"オイ、マネキンつくらないか"という話になりまして。僕自身、マネキンを作っているのは見たことはありましたが、自分で作るとは思っていなかったのですが……"業界を楽しんでる"という感じがしたことから、入社しました」

大野木「私も彫刻の世界から。"食えない"からしばらく金儲けでもしながら、ウマくいけば彫刻で食って行ける。その時にやめたらいい。といった考えを、どこかで持ちながら七彩に。ところが村井次郎さんという非常に豪傑で素晴らしい大先輩がおりまして。素晴らしい環境の中で、もの作りをしている。2〜3年ここで勉強するのもいい、といっている内に24〜25年が過ぎまして。素晴らしい人達との出会い、結果的に自分との闘いという発見……初めの目的から外れているみたいだけれども、それを後悔しているわけでもない。そんな状況で、やっています」

川口「ほとんど、私も皆様と一緒のような状態で。ファッション・デザインの勉強をしていて挫折しまして。プラプラしておりました時に、たまたま京屋の先輩に紹介されまして。原型を作っている場面に遭遇して"アッ、これはスゴイな"と。何も知らない割にはマネキンの原型に非常に感動して。それからマネキンの原型を勉強しはじめまして現在に至ったわけです。いまもマネキンは、私の中で非常に大きなウエイトを占めています。多分、会社を辞めても、これを作っていくだろうな、という気持ちでいます」

翁「いま、皆さんのお話を"なるほどな"と伺っていたのですが……私も皆さんと同様で。彫刻を目指したんですけど、とりあえず、食べながらいかなければならないもので。その為には、どうしたらいいかな、と考えていたわけで。建畠先生が私の恩師で当時の東京マネキンにいまして。"しばらく、うちにきて働きなさい。それで彫刻の勉強もしなさい"といって下さったことで、原型作家になった、ということです。カレコレ30数年前になりますか。最近は、若い人達に"余り手を出さないでくれ"といわれて、私が手を出さなくなったら"作品が良くなってきた"といわれている状況です」(笑)

10年やってスゴさが解ってきた ---- アデルに与えられた大きなショック


右:塚原孝雄
左:丸谷隆二

翁「皆さんは、この道で20年から、という方達ばかりですから、それなりの魅力とか、魅きつけるものがあって、これまで時間を費やして来たんじゃあないか、と思うんですけど。我々、作家を引きずっていく魅力はなんなんだろうか」

川口「作りながら、どこか自分を反映している、と思うんですよ。モデルを使って作るにしても、そこには紛れもなく"自分との対話"を探しているんじゃあないか、と。
マネキンの場合、毎年々々、テーマを出して作っていくんですけど、そこに自分と世の中との関わり合いとか、マネキンを通して、その時代を表現しているんじゃあないか、と思うんですよ。それが複製という形でいろんな所に出てくるわけですが……自分がこう存在している、というような気がするんですよね。
作ったものが好きな女かな、といわれたら、そうかも知れないですけどね。例えば、夢とか希望とか、ホレた女のこととか、マネキンというなかに出てくる。しかも単体でなく、いろんな所で使われて、人目にさらされていく。その分だけ恥ずかしい部分もありますけど」

山本「"良かったナ"と思うことは数少ないんですけどね。何年間に一度とか。ただ街を歩いていて、自分が作った以上にディスプレイされていて魅力的に使われているときですね。たまにありましてね。人には言えないんですけどね」

塚原「私も彫刻やっているんですけど。個人的には、ファイン・アートとビジュアル・アートの感覚とは、ぜんぜん違うと思っているんですね。
彫刻そのものは個人的動機で、個人的な消化でやっていると思うんです。マネキンは、個人的な消化だけでは、どうしても出来ない。周りがみんな関わってくる。周りの資質が合体されて、同化されてマネキンに出てくる。僕らが、とても買えないような服を着ているとか。個人としての彫刻では、それはあり得ない。だから、お客様の要望も含めて、良い人形を作ることに挑戦したい。
ただ、やりたいことよりやりたくないことの方が、商売になるということがありますね。やりたいことやらねばならないことが別方向にあるとき、どう個人が使い分けをし、クロスオーバーさせていくか。一生苦労するかもしれませんけど、それでいいと思っているんですけどね」

翁「皆さん。自分の作家活動と合わせて、つまり作品とマネキンのバランスの中で、自分を作品の中に反映していきたい、という目的もあると思うのですけれども。もっと直接的なマネキンの魅力というか、マネキンが好きなんだ、ということがあると思うんですが」

奥谷「多くあり過ぎて話が出来ないんですけど。例えば、手前ごとですが、私共"アデル"のマネキンを導入したんですが……20年近くも前になりますが。その時の感動、というより何か違った世界というか、憧憬というか。いままでのマネキン人形を超えた、彫刻以上の魅せられ方、感動をしましたね。
  イメージの中からグーンと膨らんで、ひとりの作家のキャラクターが非常に現実的にぐーっと前に出てきた。いまは、そういう時代に変わりつつあるわけですけど、その時は、非常にショックというか。"イヤー、こういう世界もあるんだ"と。彫刻つまり作品とマネキンを本当に分けていいもんであろうか、どうかと。今はVPやVMDなど、モノの見せ方そのもの、世間も変わってきましたから、アデルもその辺をターゲットにしてきているんですけど。
 私は、モノを作る立場から見ているものですから、こういう魅力、こういうものを、また違った表現が出来ないものかと。そういうことを考えて、考え過ぎてロクなものが出来ない、という状況なのですが……」

翁「いま"アデル"の話が出ましたが、私も30数年間、マネキン業界にいて作家やってきたんですけど"目から鱗が落ちた"のが何回かありまして。その中のひとつですよね。
 一番最初にアデルに出会ったのが、いつか忘れましたけど……ヨーロッパで街を見ていて、アデルの人形にぶつかって、ショックを受けて、そこでマネキンというものに対する考え方がガラッと変わって、大きな転換期を迎えたと思うんですよね。
 皆さん、それぞれの中で、魅せられたところとか、キッカケとかあったと思うわけですけれども。マネキン作家と一口にいっても、やればやるほど奥が深い。それで何か茫洋として明かりがなかなか見えない、つかめない。というようなことを、私なんかも何年間もやってきたわけで。
 マァ非常に苦心して自分の作品を作る以上に、マネキンを作る時の苦心は多い。というふうなことも身に覚えがあるんですけれども」

大野木「魅力の問題なんですが、初め入ったころは解らなかったんですよね。確かに、僕の好みの女みたいな形で、美しい女性が街の中に立っている、ということに対しての共感みたいなものはあったんですけど。
それを自分が作る、という立場になったとき、どうしていいか、わからない。しかも、ちょっと違うんじゃあないかな、という気持ちがありまして、自分の思いとマネキンを作ることが同じ次元に到達できなかった。結構イヤイヤやっているところがありまして。
"これはスゴイことなんじゃあないか"といったことが本当に解りだしたのは、恥ずかしいけど10年程前じゃあないかな。それまでマネキンに、それほどの価値観をもってなかった。解ってきたのは年のせいもあります。毎年々々、去年よりは良いものを作ろう、という気持ちがあるから、キチッと階段を一歩一歩、自分では上がってきたつもりなんですよね。
 去年より今年は技術も良くなっている。当然、感性も自分の中で蓄えられている。だんだんファッションのことも解ってくる。だから当然、前よりイイものを作っているはずなんですよね。当然マネキンは歴史のなかで、どんどん良くなっていると。初め、そう思っていたんですよ。
ところが、40歳間際のときにですね。フッと、古いマネキンを見たときに"古いマネキンの方が、エーじゃないか"ということが、結構出てくるんです。結局、自分達は一生懸命、前よりはイイもの作って来ているはずなのに、忘れ去っている。昔もっていた良さみたいなものを。どんどんホカしていった"というのに気がついて。
昇りつめているようだけど、まだまだ昇れていない、というのに気がついた時に、マネキンの持っている奥の深さ、そして彼等、先輩達のやってきた、いろんな作ったものを、自分で受け止められるようになって来たんでしょうね。そうした時に、マネキンて、こんなに大きなことなのか、マネキンて本当に素晴らしいな、ということに気がついたという状況でして。現状、話があって、作らなければならない時、苦しみは、どんどん大きくなっているな、という心境ですね」

翁「なにか、身につまされる話ですね」(笑)

丸谷「僕は、まだまだ経験が浅く、皆さんのお話を伺って、解りきってない、と感じてしまいました。正直いって、マネキンを作り始めた時、その魅力というのは感じていなかった、解らなかった。"どこがいいんだろう"という気持ちが常にありながら、作ってきていたと思う。
ただ、ウインドーなどに飾られているのを見た時、感動はあるんですよね。でも、どういうものを作っていいか、その辺が解らない。
先程アデルの話が出ましたが、僕は"(アデル)AXシリーズ" 見たとき、スゴイ感動したんですよね。それまで"マネキンは美しいものだ"という自分の固定観念を持っていて。僕の場合、どうしても美人が作れない。"お前はクセが強い"といわれているんですけど……自分から見た女性像というのは、目鼻立ちが整っているものがキレイに見えない。もっとイキイキしてなければ、おかしいんじゃないか、と思っていたときに出会ったのが"AX"だったんです。
それから、こういう作り方があるんだ、と。その時は、それまでマネキンに持っていた思いがフッ切れたというのか。逆に、それからまた、余計解らなくなってきちったんですけど。(笑)
ただ、作ってて"こういう女"という思いのものが出来たとき、ヤッたと。それが決して他人に誉められるわけじゃないし、売れるものは別ですけど・・・・・・」

技術と感性、両輪の中で ----ビジネスとのギャツプをどう克服していくのか

 地主 力

翁 「マネキンというものの難しさの一つには、単純にいえば、造形する力=技術が高いレベルで要求されると同時に、ファイン・アートと違う部分としてファッション性、その人の時代を捕らえる鋭い感性、その二つが相マッチするというのでしょうか。その両輪がキチッと歯車が揃わないとなかなか出来ないんじゃないか、と思うんですね。
  昔、彫刻家の先生方に作って戴いたことが、どの会社でもあったと思うんですけど。それが、なかなか成功しなかったというのは、どうしても技術の方から入って、頼ってしまったという部分で。技術レベルの問題だけじゃあない。デザイン的センスというものに、かなり鋭いものを持っていなければいけない。片方だけを持っている人達はたくさんいる。でも、この二つを高いレベルで併せ持っている人達は、非常に少ないのではないか。そういう人達が、それぞれのマネキン会社の中で頭角をあらわして、いい作品を作っているんじゃあないかと。
  そこで、実際に作品を作っていく上でのポイント。作家として、これだけは崩せないというか、一つのポリシーとして追及」しているものがありましたら。お聞かせ下さい」

川名 「イヤー、難しいですね。私も会社に入って7〜8年経って、やっとマネキンが作れるようになったというか。いまも、若い人の感性は大事にしていかなければならないけど、先程のように技術が伴わない。両方、相侯ってというのは、私自身、今でも苦労するところですけど。
一番大事なポイントの1つは、マネキンもデザインだと思うんです。アート性という要素は、一杯あるけどデザインだと。そこに、いろんなものを入れていく。感性というのは、作家の持っている感性でしか表現出来ない部分が多い。作家一人ひとり殺さないようにして生かす、というのですか。指示し過ぎちゃうと出て来ないから。売れるか売れないかは別として、重要なポイントになるかなと。だから技術を高めながら、その感性を引き出してやるというか・・・・・・」

翁「いまのお話ですと、若い人を指導されている立場ということですが、ご自分でマネキンを作る時のテーマというか、ポリシーというか。作品の中に、これだけは生かしたい、といったものは」

川名「具体的にですか。僕は、マネキンには基本線、ラインというものがあると思うんですけど。どんなポーズをしていても一つの基本ラインというものを大切に、曲線の美を追及して作るよう心がけています。それが崩れてしまうとバラバラになっちゃうな、と思っていますけど」

地主「油絵の方から入りましたもので、線的にモノを見る傾向がありましてね。でもマァ、10年、20年経ってくると、素晴らしいマネキンは存在感があると。都会の空間を支配するような力を持っていると思うんです」

翁「自分の作ったマネキンが存在感があるというか。目標としてもね」

地主「結局、僕は、自己満足もあるかもしれませんけど"ホレる" というんでしょうかね。人がどう評価されるかは別問題で、それがなかったら仕事として完結"ヤッタな"ということにならないと思うんです。ですから"自分で自分のものにホレる"ということを大切にしていますけど。
  仕事ですので、シリーズとか、テーマを決めて。いまで言いますと、時代が保守的になってきたとか。ただ自分の気持ちと裏腹の表情を作らなければならない時、技術でカバー出来る部分もあるし、仕事と割り切っている部分もあるけど、表現者として矛盾を感じてくる。ストレスが溜まってくる。皆さんは、そんな時、どうしていらっしゃるのかな、と思うのですが」

山本「僕も、20数年間、京都の方でずーっと暮らしていたわけですが……生活感というものが、どんどん朦朧としてくるというか、時代を作っているものと自分のやろうとしていることの矛盾みたいなものが出でくるわけです。東京へ出てきたことも、それが理由なんです。お客さんと同じ空気の中で生活したい、と思ったからなんですが、どこまで出来るか、というと何も見えないのですが」

川口「時代のとらえ方というのも、いろいろあると思うんですけど。私の場合は、例えば、通勤したり、遊んだりしている時に、極力、なるべく人を見るよう心がけているんです。
例えば、女性の(装いの)なかで、ローヒールが一般化してきているとか、足が少し外に開くような立ち方になってきたとか。ファッション雑誌も大事ですが、もっと生活の中から出てくるようなもので、新しいものを意識して見るようにしているんですね。
ただファッションとしては、毎年新しいものが出て、消えていく部分もあるわけで。マネキンは5年、10年と長く使われていくわけですから、一過性のものをとらえても駄目だと思ってはいますが」

塚本「作家が見るところとフツーの人が見るところでは、見方がゼンゼン違うと思うんですね。業界に出ていって"アッ、いいな"ととらえられるものと、作家同士が見るのとはゼンゼン違う。ここはイイとか、出来ているとか、いないとか。
一般には、モデルも含めて20才前後の人達には、僕らが解らない話がたくさんある。"いま、何が流行っている"という話も含めて、そういう若い人達と話すことが重要になりますね。ほんのおしゃべり程度でいいんですけどね。参考になります。それを、どういう形で表現していくかが必要なわけで。マネキンには、表面的に処理する部分もたくさんありますから。
ただ"アデル"が出てきたことは、表面ではない強さがありますよね。その強さの上に則った造形の強さ、だと思うんですよ。これからは、そういうものが、どういう形で残っていくか、ということになっていくと思うんです。オーソドックスが強いことは、間違いない。でも、どこかに、くだけた意識のようなものがあって、二面的、三面的、多次元的に分かれていく。どう、とらえるかは各社の狙いでもあると思いますけど」

翁「作家として作りたいものと、それが商売としてキチッと役立つものと。ということで皆さん、それぞれギャップを感じながらやっているのではないかな、と思うんですね。ギャップ感をどう解消しようとしていくか……ということも大きなテーマなんですけどね」

環境問題に、どう取り組むか ---- 素材そしデザインを考える


右:山本幸夫
左:奥谷卓則

翁「マネキンの将来性については、どうお考えですか。マネキンの存在価値が現状のようなかたちで継続されていくのかどうか。何か変化があるんじゃあないか。続いていくとすれば、どういう形で。ソフト面、ハード面、いろいろあると思うのです。
一つには、FRPという素材が非常に大きな問題になっていると思うんですね。ヨーロッパでは、FRP自体が禁止される方向なっているとか。塗料では、水性が主流になりつつあるとか。自然環境とマッチした人間性のある方向に、いろいろなものが転換しつつあると思うんですが……マネキンも変化をしていかなければならないと思うのですけど」

大野木「マネキンだけの問題だけではなくて、公害問題というのは使い捨ての世の中をどう変えていくか、考えていかなければならない。将来、こんなようなことをやっていれば、いずれ駄目になっていくだろう。反社会的行為という危機感を我々も持っているわけですね。
 日本の場合であったら、新しいものであったら、価値の問題ではなく、良い悪いではなくて、とにかく去年より何か新しいことをやればいい。店頭ディスプレイにしても、季節が終われば、使えないから全部ホカしてしまう、ということを繰り返して、果たして今後やっていけるのかどうか、という疑問があるんですよね。かなりの数量の人形が毎年新たに出て行っている。これを、うちの会社だけでなく、各社がやっているわけですから。これを、どこかで方向転換して、考え方を変えないと。
 良いものをいかに長く使うか。良いものは半永久的なんだと。アートだと長く持たせたい。デザインだと早く作って、早くホカさないといけないみたいな。これを、どこかで改めていかなければいけないと。21世紀は、そこにあるんじゃあないか、という気がするんですよね」

地主「商習慣の違いも絡んでくるのではないかと思うんですね。ヨーロッパでは買い取り制で財産という考え方をする。日本の場合は、リースですので、常に新しいものでお客様をつないでいかないと商売ができない。マネキン業界として、そこにポイントがあるんではないですかね」

翁「商習慣の違いという形が、我々の中にも疑問としてあるわけでして。一つのものを長く、ひたすら使い続けるということの必然性みたいなものと、ファッションとして新しいものを追及して作っていくというデザイン的行為と、どちらが正しいかというと、僕にも解らないんですけど。ただ大野木さんが言われたように、変化していかなければならない。我々が、日々作っては捨て、作っては捨てていくことが是とは限らない。
  そういった世界に戻ると、いまヨーロッパでやっている買い取り制という形が、長年ひたすら使っていくということが、店にとっても、周りの人にとっても、関係する人達にとっても、本当に良いことなのかどうか、ということもあると思うのですが・・・・・・
それには、それに耐えるだけのデザイン力、造形力というか、そういうものが裏付けにないと、なかなか難しいんじゃあないか。メルセデス・ベンツではないですが、あるデザインというのが10年サイクル。日本だったら3年〜5年のサイクルで変化していく。最初見た時、余り良いデザインではないけれど、使えば使うほどなじんで、良い感じで味が出てくる。それで10年、充分に陳腐化しないようなデザイン力というのでしょうかね。そういうものを我々デザイナーの中に、ひとつの大きなテーマとして持っていかなければならない。先程の使い捨ての問題を解決すると同時に、そういう問題も引きずっていると思うんですよね」

奥谷「まったくその通りだと思いますね。大野木さんのおっしゃられた21世紀のあり方というのも。日本が世界に優る経済力を持っているという位置付けにあるんですから、それなりの力をつけて。
例えば、いまの買い取り制の中で"アデル"をいえば、今までのコレクションに、この人達を入れれば、これだけの表現ができますよ、という売り方ですから。我々のマネキンが使い捨てというのは、リースで回転していく商売ですから、持続して使われていくとすれば、制作のあり方も変わってくるし、見せ方も変わってくる。
それに時代性というものは、常に無視できないですけど、それに乗せていけるような形を考えて。ただ非常に困っているのは、そうなったら、売上げの面での苦労も現実にあるわけで……でも、我々が自信を持って、作っていかないと変わっていかない。流通機構も、それなりの形で考えていかなければならないと。痛切に感じるところですね」

翁「流行とか、トレンドとかね。すべて、それに掻き回されて、引きずられて行く。そういう時代があったような気がするんですけどね。別の形を、我々は作っていかなければならない時代にあると思うんですね。
 ファッション自体がそういう方向に、消費が変わってきているわけですから。我々も、そういう方向を、どんどん深めていかなければならない、と思ってはいるんですが」

川口「いまは個人々々が自分のスタイルを作り上げて、周囲に躍らされず、白分達を中心にして考えていくというファッション傾向にあると思いますね。
マネキンにしても、流行っているから作るんではなくて、何が必要で、どう表現していくか、どう売っていきたいかなど。先程の環境問題も考えていくと、次々にブランドを開発し、切っていくのではなく、もっとマネキンをトータルに考えて、新しいものをプラスして一緒に使っていく。10年、20年使うくらいに。
マァ、それだけの表現力を自分の中に持てばいいんですけど。どうしても、表面のデザイン性に流されてしまって。原型作家としてデザインを超えた部分での表現力、造形力を持っていければ、変わっていくと思うんですけど」

塚本「さっきの環境問題と関わってくるんですが……何でマネキンがFRPである必要があるか、どうか。彫刻でも素材がなければ存在しない。軽い、作り易い素材としてのFRPの特徴があると思いますけど。
人形はどういうもので表現するのがいいか。当然、昔使われていた素材もあるわけで。素材からくる時代感、生命感が変わってくると、表現も根本的に変わってくると思うんですよ。もっと、環境と自然との関わりで、素材として、ものを見直してみようという人形の世界がある。例えば、人形を本当に木で彫ったり、石で彫ったりして、ドンと置いてみたり……彫刻としてではなく人形の表現としてみたら、また違った目で見えてくるのではないかと。僕自身、原型作っていて感じますね」

川口「やり方は、いろいろある。別にFRPじゃなくてもいい。ただ一番効率のいいやり方がFRPだったと思うんですね。  
ものを作るのは何でも出来る。でも、これは一企業で解決できる問題ではなくて、業界が一緒になって考えていかなければならない問題だと。また、素材メーカーでなければ解決できない問題もある。お客様に積極的に働きかけることも必要で。お客様にとっては、軽くて、何回でも取り替えられる、着せ易いというものがいいと思うんですね」

塚本「ソゥ。素材選択が重要なんですよね」

マネキンも量より質の時代へ ---- 創る者も使う側も意識改革が必要


右:川名靖彦
左:翁 観二

翁「この(素材の)問題は、一方的にはなかなか行かない。必ずお客さんというのが向こう側にいて、その関わりの中で動いて行くわけで、難しい問題ですよね。我々が使命感を持って変化させていけるものがあるのか。可能性はあるのか」

地主「ここに来て、マネキンが見直されてきた傾向がありまして。お客様にとって、売りたい商品をアピールするのに、非常に便利な道具であると思うんですよね。だから僕は、マネキンは無くならない、と思うんです。素材の問題や市場の大きな波はあったとしても」

丸谷「僕自身もマネキンは無くならないと思うんですよ。増えることがあるかな、という疑問はありますけど。素材についても、逆にFRPのオモシロさも感じないわけではない。マネキン独特のものがある。アートとも商品とも言い切れない部分、ある種ニセモノ、フェイクの面白さみたいなものがあると思うんですけど。そういう一つの美術として、徐々に確立されてきているような気がする。当然、素材も変わってくるでしょうけど、工芸美術にはならない。
 自分自身、作っていて思うんですけど、一つ(の原型)に対してたくさん作り過ぎるのではないかな。一つの原型が出来ると、経済効率ばかりの追求がされてくることが多い。同じものを見ていると飽きますよね。いろいろな女性がいるように、いろいろなマネキンがいる。そういう世界になったらオモシロイだろうなと思っているんです」

奥谷「いままでは、我々、作家個人のキャラクターでものを作っていく、というのが非常に多んですけれども。最近は、いろんな形でスタッフが集合体になって作っていくスタイルで仕事をすることが多くなりましたね。ですから、作家も、山本さんの言われたように、環境を変えないと。そういう意識にならなければ、いけないと。今までにないスタンスで臨むことが多くなると思うんですよ。
  我々がトレンド・セッターである、という考え方を、皆が持って、もの作りをするというやり方ですね。ファッション・デザインの傾向も、2〜3年先くらいまでの情報は、常に入ります。それよりも、個人がナットクするか、しないかの問題で。手で作るものですから、自分自身が納得しているかいないかで、出来上がりがぜんぜん違いますから。その葛藤のなかで、納得してから始めていく、という状況になりますね」

大野木「マネキンというのは、ファッションに則って、ファッションが変われば、マネキンも変化してきたものですけど。80年代中頃からデザイナーがマネキンをクローズアップする傾向が出てきたわけですが……ファッションがそうだからといって、我々が、それに乗って動いているわけではなくて。
一緒にやっていることも確かで、僕らが、そこで何を得ているかというと、デザイナーが、この先、どこを見ているか……ということなんです。それが解ってくると、我々もそれに対応して、もう少し先を見ることができる。予測がたつ。
結局、ウチなんか、あからさまに言ってくれることが多くて。それがうまいこと我々の情報の中にはいってきて。逆に、何か欲しがっているけど、ハッキリ答えが出ていない。 "こんなのと違うかな"とこちらなりの、ちょっとしたヒントを。違う業界の人達が、刺激しあって、お互いに、ちょっと高い所に目標を持って、ノウハウなどを出し合ってやってきた。それが結構、うまくやれてきた、というところがある。
ファッション・デザイナーは、いつも先を読んで、結果論で動いていない。まだ予測は立たないけども、この辺ではないかな、という形で、先を見て具体化しているのではないか、というのが会話から出てきたりして。具体的にマネキンをどう作るかではなく、彼らの考え方みたいなものを吸収することによって、我々、非常にトクをしたみたいな面がある。だから、僕も出来るだけ先を見てやろうなどと、欲張ってみるんですが。
  彼らも、これからは大変悩むだろうと思うし、マネキン自身も、決してバラ色ではない。でも、絶対必要であることも事実だとも思う。そこで、言いたかったのは、生き残るには、具体的にいうと"イイもの"きりないなあと。"イイもの"をちゃんと作らなければならない。"イイもの"を作るとは、どういうことなのか。というと、もう作家の力量でしかないかな。といって作ろうと思っても作れるものではない。"作家それぞれの人格"を磨いていったら作れるのかな……なんて。
そんなところに大きな目標を持ってやっていないと、いまのように、ともかくファッションの変化に伴って、ノルマ与えられて、消化しているだけでは、おかしなことになるんじゃあないかな、という気がしているんですがね」

川名「私自身、大野木さんの考え方ズバリだと思うんですよね。これからは、もうマネキンが大量に、何千体と出る時代は恐らくないんじゃあないかな、という考え方をしているんですね。進路としては個性のあるデザイナーであるとか、百貨店とか、量販店の方と一緒に成長して進んで行く方向で、ますます細分化されて、もっとオリジナルな、もっとズーッと先にいくと、個人との結び付き、例えば"☆☆会社の◎◎さんに頼みたい"という個人を名指す感覚になってくるのでは。
 その意味では、原型マン一人ひとりの個性が、もっと大事にされなければいけない。ヨーロッパの方では、原型マン一人が、本当に偉大な作家の待遇で。日本では、一商業デザイナーという見方をしている」

翁「やはりマネキンの地位を高めていかなければ、いけないね。FRP自体がマネキンの地位を落としてきた、というか。(笑)すべてが"量より質"という方向にいこうとしているときに、現状の地位では、とても相入れないものがあると思うのですよね。どちらが先ではないけれども、マネキンの地位をグーッと高めていきながら、ユーザーの方達の意識の改革、レベルを高めていかないと、理想的なマネキン像は、出てこないのではないかという気がしますね。
マネキン自体のシェアは、非常に小さいと思うんですね。それぞれ皆さんの会社のなかでもマネキンが稼いでいるのは10%とか、そんなものだと。でも、小さなシェアの中でも、お互いのコミュニケーションといいますか、何かが必要になってくる。そうして初めて"良いもの"を作る気合いも入ってくる。使う方も意識改革していただけるし。その辺が、これから大事な課題になってくるんでしょうね」