≪ 戻る | 目次 | 次へ≫ |
一九九〇年代に入り、バブル経済崩壊による影響が顕著になるにしたがって、人件費削減を意図したリストラの荒波が人々に襲い掛かる中で、マネキンもまた経費削減の名のもとに、華やかな舞台から降ろされることになった。
中でも手間隙(コスト)が掛かるリアルマネキンは、売場から退けられ、ボデイと言われる半身像や頭部が切断されたヘッドレスマネキンが売場を制覇した。
このような立体的に服を着せて見せるだけの人体像はマネキンではなく、陳列什器の延長線上に位置されるハンガー掛けであることは、百年前のパリですでに実証済みである。
その時、パリの小売業者は、このような無機的な道具では人目を惹きつけることは出来ないとの理由から、ファッションモデルの人形化と言うべき、リアルマネキン(蝋人形)を採用したのであった。当初はマネキンに、人間をそのまま写し取る具象表現にリアリティを求めたが、前述した通り、抽象表現にもリアリティを求めるようになり、具象と抽象にマネキンは二極化し、その後の流れを作ってきた。
つまり具象、抽象を問わず、人々をファッションや空間に惹きつける関係のリアリティこそ、マネキンの本質なのである。その観点から見るならば、現在多くの売場に立ち並ぶ味気ない人体像は、マネキンの本質から遠く離れた、立体的に衣服を見せる陳列器具に過ぎない。
因みにヨーロッパの街を歩くと、リアルマネキンの多さに驚かされる。抽象マネキンでも、その造形性に見るべきものがある。ある意味で、現代日本の感染症的状況は、わが国特有の特殊な現象と言えなくもない。そろそろ日本も、こうしたイマジネーションが希薄な経済効率優先の考え方を、根底から見直す段階に来ている。
著者: 京都造形芸術大学 ものづくり総合研究センター 主任研究員 藤井秀雪
※この文章は日本人形玩具学会「人形玩具研究 かたち・あそび」第18号 2008 年3月に発表したものの転載です。
≪ 戻る | 目次 | 次へ≫ |