コラム

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マネキンのリアリティを考える 戦後日本のマネキンの流れを通して

マネキンのリアリティ

いま大切なことは、改めてマネキンとは何か、その効用とは何かを考えて見ることである。マネキンは場に存在する。インターネットや通販にはない場の特質は、そこでしか出会うことの出来ない情報を提供すること、つまりリアリティを創出することである。

リアリティは人とモノ、人と空間の関係から立ち現れる概念である。モノや空間に人の思いを投影すればするほどその関係は深まり、リアリティを増し、人をひきつける。

思いを投影するとは、単なる加飾を意味するものではない。人を惹きつける美の要素を際立たせるために、形や質感、色をどう表現すべきか、そうした思いを投影した結果生まれたマネキンは、具象であっても抽象であってもリアリティがある。

つまり、吊るして見せるとか、着せてみせるだけの機能性では解消できない、感性に訴えかけるマネキンは、どれだけ多くの情報量が投影されているかで、訴求力の度合いが決定される。

ところがマネキンは主役である衣服を引き立たせることに役割があって、マネキンが目立ってはならないとの理屈がある。これは商品である衣服でなく顔に眼を奪われることが懸念されるリアルマネキンに言われることが多い。しかしこれは大いなる思い込みか、トータルコーディネートに対するセンスや手間、経費を回避したい、経済効率至上主義に過ぎない。

しかし、マネキンが着ている衣服に眼が奪われることは確かであるとの調査結果は出ている。その際、衣服とマネキンの身体表現がミスマッチであれば逆効果であろう。要は、人間の思いの丈と訴求力は比例するのである。 マネキンは他の人形と異なり、パブリックな場で、人間との関係を築く媒体であり、通常愛玩の対象になることはない。

しかし、時代の波に乗り続ける以上、不要とされることもない。人が必要とし、思いが投影されていく以上、存在し続けて来たし、今後も存在し続けることだろう。戦後半世紀余の流れを見てきたが、社会の動向に敏感に左右されるマネキンは、その運命もまた人間に似ていることに気付かされる。人間が不幸な時は、マネキンも不遇の時を過ごさねばならなかった。

その意味で、この十数年間の日本の状況は、人間にとってもマネキンにとっても決して良い時代とは言えなかった。ところが最近、久しぶりにデビュー前の七彩の新作マネキンと出会う機会があった。

無言で佇む無垢なその姿に触れることによって、マネキンのリアリティを久々に実感することが出来たのであった。

著者: 京都造形芸術大学 ものづくり総合研究センター 主任研究員 藤井秀雪
※この文章は日本人形玩具学会「人形玩具研究 かたち・あそび」第18号 2008 年3月に発表したものの転載です。