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井上章一
国際日本文化研究センター・助教授
いわゆるDCブランドといわれるものが、日本でも脚光を浴びだしたのは、1970年代の後半からであろう。三宅一生、川久保玲などといった名前が喧伝されだしたのも、そのころだ。
こういったブランド・メーカーは、その店舗デザインでも、とくに独特の戦略をもち、それまでの商店建築とはちがい、はっきりと空間造形をめざしていきだした。
コンクリート打ちっぱなし、ダクトむきだしの無機的な空間をつくりだし、そして、そのヴォイドのなかへ、点景のように、衣服類を配置する。そんな店がまえに、傾斜した。
ひとことでいえば、建築家、それもいわゆるリーディング・アーキテクトが動員されだしたのだ。店の空間そのものを、服のブランド・イメージをささえる看板として、意識しはじめたのである。
この空間からは当然のように、マネキンが消えていく。
マネキンは、それ自体に、なまなましい存在感がある。建築家がつくりたがる無機的で寒々とした空間には、なじまない。だから、DCは、ショップのなかから、マネキン人形を追放していきだし、川久保玲なども、人形との訣別を宣言したりしていたのである。
70年代後半から80年代前半ば、DCの成長期であり、百貨店などの多くも、DC旋風に巻きこまれていく。店の構成もDC的なポリシーに、そまっていった。
こうした時代相のもとに、マネキンの需要は、減少し、営業的にも伸びなやみといった状態になり、人形メーカーのなかには、この時期に、マネキンの製作をやめたところもある。
ショップの女販売員たちも、マネキンという名前を返上していった。カタカナ的な外来語の泥くささを、嫌ったのである。そして、よりフランス語に近い、マヌカンという表現を採用した。と同時に、「マネキンのおばちゃん」風の愛想よさも消えていった。一般にDCブランドのマヌカンには、無愛想なものが多くなり、お高くとまった風をよそおうものさえ、登場した。
彼女たちの客にこびない姿勢もまた、ブランド・イメージを保つのに貢献しただろう。無機的な空間ともあいまって、ファッション音痴たちには、入店をこばむプレッシャーとして作用したはずだ。つまり、そこへいく客に、ある種の選民意識をうえつけることが、できたのである。しかし、ファッション音痴としてみれば、文句のひとつもいいたくなってくる。あれでは、文字どおりマヌカン(招ぬかん)だ。客を拒絶しているではないか、と。
くだらない駄酒落だと思われるだろう。たしかに、くだらないと思う。だが、この駄酒落には、歴史的な由来がある。
ここで、しばらく、マネキンの歴史を考えてみよう。
日本の服飾店が、フランスからマネキンを輸入しだしたのは、1916、7年のころである。このころには、国産のマネキンは存在しなかった。フランスから日本まで、船ではこんでいたのである。
もっとも、当時のマネキンは、今のような素材でつくられてはいない。顔の部分は、ロウで制作されていた。
そんなものを、船ではこんでいたのでは、とうぜん、いたむことも多かった。夏場にインド洋あたりをとおると、ロウがとけてしまったりもしたのである。
このいたんだロウ・マネキンを修理していたのが、京都の島津製作所である。
ここでは、はやくから人形部をつくり、マネキンの修繕を、一手にひきうけていた。のみならず、1920年代なかごろには、自分たちの手で、マネキンをつくりだしている。1928年には、世界にさきがけて、ファイバー・マネキンを制作した。
そこで、さきほどの歴史的な由来をもつ、駄酒落に、むすびつくのだが、このマネキン、なぜ マネキンとよぶのだろう。
日本のマネキンは、もともとフランスからとりよせていた。そして、フランス語では、これをマヌカンとよんでいる。英語では、マニキンとなる。そのマヌカンが、なぜマネキンになったのか。
ローマ字読みにして、カタカナで表記したからマネキンになった。まあ、こう考えるのが、妥当なところだろう。だが、もうひとつびっくりするような説がある。
ちょうど、マネキンが日本でもひろがりだしたころの、1929年の「婦人公論」1月号に、つぎのような記事が掲載されている。
「マネキン―それはフランス語のMannequinマヌカンから来たものだといひます。でも、マヌカン―『招ぬかん』ではお客が来なくなるといふので、マネキン―『招ねき』としたといふこと」
マネキンという言葉は、客を「招ねき」やすい。この語呂あわせから、この言葉が採用されたという のである。
だとすれば、マネキンは一種のまねき猫のようなものだったとは、いえまいか。商店で、店よせのまじないに置いておく、あの猫の人形。それのファッション版が、マネキンだったのではないか。
DC系のショップは、マネキンを追放した。それは、ある意味で、このまねき猫を追いだす行為だったとも、いえるだろう。
マヌカンという呼称を採用したのも、それと通じあう。そこでは、しろうと客を「招ぬかん」ことが、暗々裡にもくろまれていたのである。
もっとも、最近のDCは、かつてほどにはとんがらなくなってきた。1980年代後半になると、より大衆的な営業展開を見せだしている。
さらに、マヌカンという名前も、あまり使わなくなってきた。ファッション・アドバイザーなどと いう呼称に変化してきてるらしい。客を「招ぬかん」という印象を、大衆化路線が嫌いだしたのか。
また、DCショップにも、マネキンを置いていくきざしが見えだしたらしい。大衆化路線は、ふたたび、まねき猫に依存しはじめたということなのかもしれない。
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