マネキンの全て

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マネキンのすべて

人体・人形・マネキンの三角関係

人間に代わる人体の模造物として生まれた人形は、人間の描く夢や希望、
ときには幻想をも背負って、長い歴史を人間と共に歩みながら、多くのドラマを創出してきた。

境野美津子
ファッションライター

長い歴史を共有してきた人間と人形

人形は、人類の発生と共に誕生したのではないか、といわれている。

豊作や豊漁(猟)を祈願して、災厄から身を護るためのお守りとして、また死への旅立ちの友としてなど、石や木、草など自然の素材を使って、単純で素朴な表現などからヒトガタに、人々の祈念や魂を託したことが始まりなのだろう。

今日、人形は鑑賞するためのもの、愛玩物、子供のための玩具などの印象を強くするが、愛玩物としての人形が生まれたのは、ギリシャ・ローマ時代になってからだという。

エジプトやペルシャの王朝文化の中で、既に紀元前の早い時代にリアルな人体像の表現がみられ、BC5〜4世紀のギリシャの黄金時代に神殿建設などと共に、彫刻という形で完璧なる技術力と表現力で造形されている。

宗教儀式の道具として生まれた人形は、彫刻という子供を送り出して「愛玩物の人形」という流れに身を委ねたのであろうか。

人間と人形の間で誕生した芸術や文化


後藤良二/交叉する空間構造/1978年/強化プラスチック、鉄、塗料 530×943×275cm

人形を広義に解釈するか、狭義に解釈するかによっても異なるが・・・・・人形と人間の間には長い歴史を共有しながら、様々な段階で芸術や文化を生み、後世まで伝えられるドラマを創出してきたといえよう。

人間にもっとも近い位置では、例えば《能》や《神楽》のように面を被ることで人間が人形に化して演ずるものや舞うもの、パントマイムなどがある。また、人間が完全に黒子となっての文楽や人形劇などがあれば、彫刻もあるなど。

いずれにしても、人体像を模したヒトガタである人形は、その形態が抽象的であるか具象的であるかにかかわらず、人々の夢や希望などの心象風景を、時代や民族の風習やライフスタイルを、人間に代わって伝えてくれる。

古代社会で、中世から近世の社会の中で、近代社会の中で、人間と人形の間の特殊な位置付けをもつ人体像にスポットを当ててみた。

魂の存在を託した東西にみる人体像

宗教儀式の道具や舞台装置として、今日の技術や表現力をもってしても、その力強く精緻な表現で驚嘆する人体像が、すでに紀元前の東西社会のなかで完成されていた。


BC2世紀前半に製作されたと推定されている[ミロのヴィーナス]/CASA EDITRICE BONECHI発行「PARIS」より

西洋にあっては“ミロのヴィーナス”に代表されるギリシャ彫刻だ。

ギリシャ彫刻は、ローマ人のギリシャ征服で原作の多くは失われ、今日に伝えられているものにはローマ時代に模刻されたものが少なくないという。しかし、ギリシャの芸術文化の骨格は、そのままローマに引き継がれて、西洋の芸術文化の基盤となっていることは、改めて述べるまでもない。

女性の優美さを表現した時代、凜々しい男性像が求められた時代と、ギリシャ黄金時代のなかで表現形態に変化をみせているが・・・・・「神々は、人間の外にあるのではなくて生きている人間そのものの中に あり、神とは最も理想的な人間像である」(朝日新聞社発行《ミロのヴィーナス》“ギリシャ彫刻の流れ“の項参照)というギリシャ人の宗教観を根底にした表現であったという。そしてオリンピックの原点となっている「人間は精神と肉体の不分離な完全調和であるから、健全な精神と健全な肉体を求めた」ことが、数多くの名作を今日に伝えている。

東国にあっては、1974年に発掘され、いまだ発掘が続いている秦の始皇帝陵“兵馬俑”に、古代社会の完壁なる人体表現をみる。


髪型から靴まで、一体一体が特徴を持つ陶製の将兵と馬/人民中国雑誌社発行「秦 始皇帝の兵馬俑」より

紀元前259〜210年を駆け抜けた始皇帝が、死後の世界に連れて行こうとした護衛の軍団と推定されている。

約8000体の将兵と1000頭の馬の埋蔵が確認されたという、この膨大な遺跡では、体形や顔だけでなく髪形、衣装、靴に至るまで、その一体一体が特徴をもち、驚嘆するばかりの精緻さでダイナミックな人体像を伝える。

ギリシャにあっては、大理石やブロンズ、秦にあっては陶器と素材、表現方法も異なる。しかし、「リアリズムの極致ともいうべき人体像」が遠く離れた東・西国で、ほぼ同時代に完壁なまでに表現されていたのは興味深い。