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中世から近世になると、社会の変革、人々のライフスタイルが大きく変わるなかで、人間に代わる特殊な役割を担う人形が注目される。新しい文明や文化という衣を纏った人形だ。
マネキンの起源の一翼となる「衣装人形」も、その1つといえよう。「衣装人形」は、16世紀(15世紀ともいわれる)のパリに誕生している。
フランスは、13世紀のころからパリやルーアン、アヴィニヨンなどで絹織物の小間物などの生産に携わって来た。
15世紀半ばになり、時の王ルイ11世が、イタリアから多数の絹織物職人をリヨンに招聘したことから繊維生産国、モード産業国を迎え、17世紀にはモードがフランスの輸出産業の花形の一つにまで成長する。
1870年頃にフランスで作られたファッション・タイプのビスク・ドール/写真提供「横浜人形の家」
限られた交通手段きり持たない社会の中で、新作の衣装を纏い、パリからイギリスやスペイン、 ドイツなどヨーロッパ各地の宮廷婦人たちのもとに旅立っていったのが衣装人形だ。
その後、交通の発達、商業形態の変化で、衣装人形の役割は婦人衣装創作家(今日でいうオートクチュール・デザイナー)のメゾンで人間のマヌカンに移るが、この衣装人形の名残を留めた八頭身の細身のボディに流行のドレスを着た人形は、19世紀半ばころまで作られていたようだ。
現代でも、人形は世界の人々のライフスタイルを私達に伝えてくれる一つの媒体である。また、子供の玩具としての「着せ替え人形」などに、その名残が偲ばれる。
日本唯一の人形博物館「横浜人形の家」には、衣装人形をはじめ世界約130か国の約850体の人形が収蔵されている。
ヨーロッパの街の広場では、人形と時計が一体となった時計塔が観光客をはじめとした人々を楽しませているが、この時代に注目されるのが、そんな人形だ。「古時計の世界」(読売新聞社発刊)のなかで国立科学博物館研究所研究官・鈴木一義氏著の “時計とからくり”によると、時計と人形の結び付きは、すでに紀元前2世紀のギリシャに始まっているという。「まだ時計に文字盤がなかった時代に、時を知らせるのに人間が鐘や太鼓を打った名残が人形になったのではないか」という。
1870年頃にフランスで作られたファッション・タイプのビスク・ドール/写真提供「横浜人形の家」
だから、時を自動的に計る時計の登場と共に必然的に「自動的に動く人形」が時計の中に組み込まれ、13世紀に胎動しはじめたルネッナンス期に、ギリシャへの思想回帰とそれまでに蓄積されてきた機械技術が、商業的必要性を背景に意識的に使用されはじめたことから飛躍的な発展を遂げたという。
宗教的必要性から生まれた時計は、街の広場に登場。時計塔の建設が盛んになると、そこには時計職入が技術を競った人形が組み込まれていったという。
時計と人形の結び付きは「“永遠の生”という人間の本能ともいうべき憧れを具現化し、また人間自身の持つ生のはかなさ、いつか訪れる死をも表現しているのかもしれない」と。
18世紀に入ると、ヨーロッパでは時計と人形が分離される傾向をたどる。
そして、当時ヨーロッパとの交流が盛んになった中国において、西洋の技法と中国の意匠が融合され、贅を尽した“からくり時計”が作られた。今日、その多くは北京の故宮博物院に秘蔵されている。
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